日蓮大聖人『観心本尊抄』の題目


日蓮大聖人が文永十年(1274)に著された『如来滅後五五百歳始観
心本尊抄』の御題の読み方として古来種々の句読点なされておりま
すが『観心本尊抄』が究極に云わんとするところは


            『本因妙大本尊』


についてであり、日蓮大聖人の出世の本懐であります


          『本因妙大本尊』の主体、







『本門の題目』の下方に十六行に配して示されている御文に照して
拝読すべき所であります。









即ち『本因妙大本尊』には『観心本尊抄』の

「今に指す自界叛逆・西海侵逼なり  この時 地涌千界出現して
本門の釈尊を脇士と為す 一閻浮提第一の本尊此の国に立つべし」


の意を以って『本因妙大本尊』には御図顕の時として


          「文永十一年太歳甲戌十二月日」


とあり、我国の西海地方、壱岐、対馬が元軍によって侵略されたの
が文永十一年十月五日であり、『観心本尊抄』の文意に叶う訳であ
ります。



次いで御図顕の場所を


         「甲斐国波木井郷於山中図之」


とあり、御図顕の人を  「日蓮」  と自ら示しておられます。



即ちこの大本尊には



「何時・何処で・誰が・何のために」という確かな文証として絶対
に欠かす事のできない四つの条件が明らかに整っております。



附言するならば「大曼荼羅」にはこの条件が整っていないのであり
ます。



次に本題に入りますが『本因妙大本尊』には、、、


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  (以下の部分は「世界を救う一閻浮提の大本尊立つ・日蓮法華
   経の正統解釈」P115を参照するか、直接本門寺に来山して確
   認することを勧めます。)




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この御文を『観心本尊抄』のご題に照らせば「大覚世尊後入滅後」
とは「如来滅後」と同意であり


         『妙法蓮華経如来寿量品』の

             「良医」の

         「遠至余国」に当ります。




「経歴二千二百二十余年」とは『観心本尊抄』でいう「五五百歳」
であり、この「五五百歳」とは『如来寿量品』の「良医」の「遠至
余国」から「良医」がその実の体、「父」として子のもとへ「還来
帰家」する間の時を示されたものであります。


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「雖尓月・漢・日三ヶ国之間未有此大本尊」とは『観心本尊抄』の


      「月支・震旦に未だ此の本尊有さず」


の意であり、『如来寿量品』には


     「諸子於後飲他毒薬薬發悶乱宛転于地」



と示すところであるとともに「此の」とは『妙法蓮華経如来寿量品』
の「父」としての日蓮大聖人の己心を示すところであります。



また本門に捉えれば「此大本尊」と示されるところの本門寺本堂に
御奉安置のお形木の

           「本因妙大本尊」

ということになります。



何故かというと『如来寿量品』に「大本尊」を「大良薬」に譬えて
先ず始めに



「父が苦しみ悶える子のために諸(もろもろ)を方(くらべ)て経
(おさめる)に好(よい)薬(くすり)を求(もとめ)るそして求
 めたそれ等(草)を擣きふるい ほどよく合わせる」



この合わせたものを 「此大良薬」」 という。
しかるに「毒気深入」の子は 「好色香薬」をして「不美」と謂ひ
「不肯服」しかして  


          「我今当設方便」


即ち父(日蓮大聖人)は今(弘安ニ年十月十二日)、当に方(お形
木=長方形の板)に便(たより=如来の秘密)を設けると示されて
いるのであり、前に「擣し和合」と示された時が文永十一年十二月
を顕す所であります。



故にそれは紙本にであり、この紙本の大本尊を、

お形木「本因妙大本尊」に対して「控え字大本尊」と云うのであり
ます。


「控える」という意味は「後ろにひく、進まないように押さえる、
万一に備えて待機する、手元に残しておく写しの文書、予備のもの」
等の意味を有するのであります。


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故に紙本の大本尊を伝えた保田方の施入状(富士宗学要集第八巻)に



   −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


   施入し奉る駿河の国富士山久遠寺蓮蔵坊御真筆 
   控字日本第一の御本尊一幅
   房州妙本寺の時の住持 日永より 仍って此の示し書 
   末法万年の間 此の御本尊暫時も離し奉るべからざる者なり
   蓮台房日安に之を授与す


         亨徳三年太歳甲戌六月廿一日
               久遠寺常住      日永判



   此の控え字御本尊は妙本寺日永の代に寄進せられ畢ぬ
   依って富士代官所契約の為めなり

   仍て妙本寺に違背の時 取り返すべきの証常令に之れ有り
   天文ねん中の大乱に上野の住 佐野半右衛門尉 身命に替え
   て之を警護し日我に渡さるゝ処なり



        天文十五年丙午八月十日之を示す

               妙本寺日我判


    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



と明らかに「控字」と示されているのであります。



この「控」を大石寺の堀日享師は漢字にも国字にも読み方の存在
しない

         「うつろ」


と読まれ、本来「ひかえ」字として紙本の御真筆大本尊を示した
ところを自己流に中世小泉久遠寺で造立した所の


         「刷版木」


をこれに当てる誤謬をなしたのであります。





即ち、この小泉久遠寺の刷版木は刷版木が

「弘安ニ年の御本尊御名判だけ普通にて他は全く籠字の珍宝を日永
が久遠寺日安に授与した」

と説明している様に往古、久遠寺で刷版木として用いられたもので
あり本尊堂に懸げられるべき性質のものではなかったのであります。



古い時代の久遠寺の有力檀家に、この刷版木から刷り取り大聖人の
花押の部分に時の住持が 「在御判」 と墨書したものを保存して
いるものを私は拝見したことがあります。



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次に、

『本因妙大本尊』には「大本尊」と示された文について

         「或知不弘之」


と示されております。
この文は「或は知って之を弘めず」と拝読すべき文言であります。



そして、この「或」は指示詞であり、当然御本佛の応身の如来の体
を指すところであります。



『如来寿量品』には御本佛は三度応身の如来として出現することが
示されております。


即ち、正法時の如来を「良医」と示し、像法時の如来を「父」と示
し、末法時の如来とは


          『本因妙大本尊』


を背負いて出現する「使」を云うのであります。
この三身の如来の体の正法時・並びに像法時の応身を

            「或」

の一字は示すところであります。


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「知って」とは当然 本門の題目であり、そこから出発する本門の
教えであります。

それが『如来寿量品』に 「如来秘密神通之力」と示されるところ
の「神通之力」であります。


ここで云う「本門の題目」とは「本因妙大本尊」にのみ応身の御本
佛日蓮大聖人が示しおかれた拠のものであり、身延日蓮宗や日蓮正
宗或は創価学会・立正佼成会等一般に云う日蓮宗系の僧侶あるいは
信徒が現在唱えているところの「題目」と称する「南無妙法蓮華経」
とは大い異なります。



「之」とは、日蓮大聖人が「本門の題目」と称された「本因妙大本
尊」の中央首題の題目の実体、

          「本門の波動」


を示しているのであります。


「弘めず」とは『如来寿量品』の初めに「如来秘密神通之力」と示
されており、日蓮大聖人はこの文を『三大秘法稟承事』の中で


「一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と
なす 又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自らしるを名
けて密と為す 」

と釈されておられます。



この「一身即三身」を従来の日蓮宗系の教学解釈では天台法華の
論に従って
 
     「応身・報身・法身」の三身に当て


種々に解釈しておりますが『如来寿量品』にはこの三身を前に述べ
た如く


     「良医=正法時・父=像法時・使=末法時」


の三身に示され、その三身は「還」の字を以ってつながれており
ます。


即ち、如来の一身は、末法の衆生を救済する為に三身に化して法を
述べるがその実態は一身であると云うことを明らかにしたのが


           「一身即三身」

なのであります。


そして正法時の法華経には「如来秘密神通之力」と在り良医の体を
示した如来は

            「明練方薬」

を以って「善治衆病」と示されております。



この示すところは『本因妙大本尊』の「或は知って之を弘めず」の
文と同意語であります。


なぜかと云いますと『如来寿量品』には本門の波動を明らかにする
方法を

         「是故如来以方便説」

と示されております。



そうしてこの条件を満たす事の出来る応身の如来は末法時に本因妙
大本尊を奉持して出現する本化菩薩が上行菩薩として現れた時に於
いてであります。


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なぜならば「方」(いた)の「便」(たより=本門題目)を「以」
(もって)「説」(とく=本門の波動と本門の法華経)の根源、
「方便=(お形木大本尊)」を造り成すのは父として応身なすとこ
ろの御本佛日蓮大聖人であることを


         『如来寿量品』には明らかに


「父(日蓮大聖人)作是念此子(衆生)可愍 為毒所中心皆転倒雖
見我(日蓮大聖人)喜求索救療 如是好薬而不肯服 我(日蓮大聖
人)今(弘安ニ年十月十二日)当(まさに)設(もうける)方(長
方形の板に)便(如来の真実)と示されているからであります。



そして日蓮大聖人が自ら大良薬として御図顕した紙本の「大本尊」
を板に造立する時を『如来寿量品』には


「我(日蓮)今衰老死時已至」


の体を顕してと示されております。



日蓮大聖人が『本因妙大本尊』をご造立ご開眼あそばされた弘安ニ
年十月の前月に門下の寂日房に宛てた御手紙には



「是まで御おとずれ かたじけなく候 
 夫れ 人身をうくる事はまれなるなり 已にまれなる人身をうけ
 たり 又あひがたきは佛法 是も又あへり 同じ佛法の中にも
 法華経の題目(本門の題目)にあひたてまつる 結句題目(本因
 妙大本尊)の行者(造立者)となれり まことに まことに 過去
 十万億の諸仏を供養する者(日蓮大聖人)なり


          (中略)



 日蓮となのる事 自解仏乗(我れ慈父の御本佛)とも云いつべし
 かように申せば利口げに聞こえたれども道理のさすところさもやあ
 らん

 経に云く


『日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人(日蓮大聖人)世
 間に行じて能く衆生の闇を滅す』 と


 この文の心よくよく案じさせ給へ 斯人行世間の五の文字は上行
 菩薩 末法の始めの五百年に出現して南無妙法蓮華経(本門の本
 尊)の五字の光明(本門の題目)をさしいだして無明煩悩の闇を
 てらすべしと云う事なり、


 日蓮は此の上行菩薩の御使(先駆)として日の本の国の一切衆生
 に法華経をうけたもて


  (大聖人の御遺言に『経は私集最要文注法華経と名く 同墓所
   の寺に篭め置く 六人香華当番の時 之披見す可し 自余の
   聖教は沙汰の限りに非ず』)


 と勧めしは是なり この山(甲州身延山)にしてもおこたらず候
 なり 


 今の経文の次下に説いて云く 『我が(日蓮大聖人)滅度の後に
 於いて応に此の経(本門の題目)を受持すべし 是の人仏道に於
 いて決定して疑い有ること無けん』と云々



          (中略)


 此の御本尊こそ冥途のいしやう(衣装)なれ よくよく信じ給うべ
 し おとこのはだへをかくさざる女あるべしや 子のさむさをあ
 れまざるおや あるべしや 


 釈迦仏 法華経はめとおやとの如くましまし候ぞ


 日蓮をたすけ給う事 今生の恥をかくし給う人なり 後生は又
 日蓮御身のはじをかくし申すべし 昨日は人の上 今日は我が身
 の上なり 


 花さけばこのみなり よめのしうとめになる事候ぞ」


と『寿量品』に示す様に応身の御本佛日蓮大聖人の

        「我今衰老死時已死」


の状況が示されております。


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「或不知之」とは「或は之を知らず」と拝読し、当然ここで示され
る「或」は指示詞であり、本門の法華経を保ち得なかった人師論師
を示すところであります。


「之」とは一応は「本因妙大本尊」であり再応は本因妙大本尊にの
み隠し込められている唯一絶対の御本佛「本門の題目=本門の波動」
であります。


「知らず」の中には当然、天台大師等も含まれるところであります。


「本因妙大本尊」には「或不知之」に次いで「我慈父」とあります。


此の「我」を身延日蓮宗や日蓮正宗では「我が」と送りを加えて
拝読しているのであります。


当、本門正宗では「我れ」と送り拝読するのであります。


なぜ「我れ」かと云えば『如来寿量品』に衆生を子に譬え御本佛の
応身をして「父」と示し、また、文永九年(1272)、日蓮大聖人が
著された『開目抄』に、ご自身をして


「日蓮は日ノ本ノ国の諸人にしたし父母なり」


と宣言されているのであります。


当然、次の「以仏智」は、我れ慈父の如来、日蓮大聖人が、大聖人
即ち、御本佛の智を以って「隠留之」(これを留め隠す)と拝読し
なければ『如来寿量品』の「是好良薬今留在此」の文と合致しなく
なってしまうのであります。


即ち、是好良薬とは本門の題目であり、「今」とは弘安ニ年十月
十二日であります。


「留」とは長方形の板に刻んでであり「在此」とは「お形木の大本
尊」としてであります。



また「隠留之」の条件を日蓮大聖人は

        『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』

と著し


「所詮迹化・他方の大菩薩に我が内証の寿量を以って授与す
べからず
末法の初めは謗法の国にして悪機なる故に之を止めて地涌千界の
大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字(本門の題目)
を以って閻浮(世界)の衆生に授与せしめ給うなり」


と示し残され、


「また問うて曰く この経文の遣使還告如何

答えて曰く 四依なり 四依に四類有り 小乗の四依は多分は正法
の前の五百年に出現す

大乗の四依は 多分は正法の後の五百年に出現す

三に迹門の四依は多分は像法一千年 小分は末法の初めなり

四に本門の四依は地涌千界 末法の始めに必ず出現すべし
今の遣使還告は地涌なり 是好良薬とは寿量品の肝要たる妙体の
宗・用・教の南無妙法蓮華経(本門の題目)是なり

此の良薬をば仏、猶迹化に授与し給わず いかに況や他方をや」


とあり、「妙体の宗・用・教」の実体、「本門の題目」を日蓮大聖人
がご在世中、衆生に示さなかった事は文永十一年(1274)の『法華
取要抄』に、、、


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「問うて云く 如来滅後二千余年 竜樹 天親 天台 伝教 の残
したまえる所の秘法は何物ぞや


答えて曰く 本門の本尊と戒壇と題目の五字となり


問うて云く 正像等に何ぞ弘通せざるや


答えて曰く 正像に之を弘通せば小乗 権大乗 迹門の法門 一時
に尽き滅ぶ可し


問うて云く 仏法を滅尽するの法 何ぞ之を弘通せんや


答えて曰く末法に於いては大小 権実 顕密共に教のみ有って得道
無し 一閻浮提皆謗法と為り畢んぬ  逆縁の為には但 妙法蓮華教
に限る


例せば不軽品の如し 我が門弟は順縁なり 日ノ本ノ国は逆縁なり


疑って云く 何ぞ広略を捨て要を取るや
答えて曰く 玄奘三蔵は略を捨てて広を好み四十巻の大品教を六百
巻と成す


羅什三蔵は広を捨て略を好む 千巻の大論を百巻と成せり


日蓮は広略を捨てて肝要を好む所詮 上行菩薩所伝の妙法蓮華教の
五字なり    (中略)
佛すでに宝塔に入ってニ仏座を並べ 分身集まり来たって地涌を召
し出し肝要(本門の題目)を取って末代に当てて五字(お形木大本
尊=本因妙大本尊)を授与せんこと当世異議有る可からず

           (中略)


当に知るべし 此の国い悪比丘等有って 天子 王子 将軍等に向
って讒訴を企て聖人を失う世なり


問うて云く 弗舎密多羅王 会昌天子 守屋等は月氏 震旦 日本
の仏法を滅失し提婆菩薩 獅子尊者等を殺害す
其の時 何ぞ 此の大難を出さざるや


答えて曰く 災難は人に随って大小有る可し 正像二千年の間
悪王悪比丘等は或は外道を用い或は道士を語らい或は邪神を信ず


仏法を滅失すること大なるに似たれども其の科尚浅きか
今に世に当(あら)わるる悪王 悪比丘の仏法を滅失するは小を
以って大を打ち権を以って実を失う 


人心を削りて身を失わず寺搭を焼き尽くさずして自然に之を喪す
其の失前代に超過せるなり」


と仰せられています。


現代の社会状況を観るに阿含宗と称するものや真如苑と称するもの
や真光教団等々小を以って実を失うの代表的教団であり、まさに

「人心を削りて身を失わず寺搭を焼き尽くさずして自然に之を喪す
其の失前代に超過せる」状況であります。


日蓮大聖人の正しい教え「本門正宗」がこのような社会状況の中に
於いて始めて宣べ広められることは『法華取要抄』に


「是くの如く国土乱れて後に上行等の聖人出現し本門の三つの法門
之を建立し一四天 四海一同に妙法蓮華教の広宣流布疑い無からん
者か」


と示されております。


日蓮大聖人は「本門の本尊」を御造立あそばされましたが三大秘法
の中の「本門の戒壇」と「本門の題目」の流布を大聖人滅後の世界
に託されたことは『法華取要抄』の文にも明らかであります。


これらの記文は日蓮大聖人が自らの本門の三大秘法が時至って
蓮蔵坊


( 日蓮大聖人の御当体を蔵{かくし}留める所との意味=
本因妙大本尊を伝承した事を意味している )


日目上人の正統な血脈相承によって明らかにされることを予言した
訳であります。


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