第八章
日目建立の正統大石寺は消滅

 (幕府弾圧で)


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実は江戸時代に幕府から異流儀と弾圧された三超院日秀こそが日蓮
大聖人の本因妙佛法の正統伝持者です。


日秀聖人は、日目聖人の血統と正統皇の血とを受けた王佛冥合の人
であると共に、駿東郡吉原村大字依田原字大石寺にあった日目聖人
建立の大石寺の正統な御法主でありました。


故に三超院様は大石寺上人と呼ばれています。
この「大石寺上人」とは日目聖人建立の正統な大石寺の継承者とい
う意味です。


正統大石寺は駿河大納言の宿老となった小野寺刑部大輔道白(みち
きよ)とのからみ、即ち世に言う駿河大納言事件に絡んで寛永八年
(1631)幕府の手で焼き討ちされ炎上しました。


その間の事情を記しますと、小野寺刑部大輔道白(秀詮)の母は
日蓮大聖人時代の大檀那高橋入道に裔で伊豆国雲見城主高橋民部
大輔氏高の娘でした。
氏高は北条氏綱の婿となり姓を北条とも称した人物です。



小野寺刑部大輔は氏高の娘を母として誕生し、母方の姓を以て高橋
桂之助とも称しました。
天正十八年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めに伊豆韮山城に立て籠
もりましたが、小田原落城を以て韮山城を開城し、上杉景勝に招か
れその客将となりました。


次いで最上家の客将となり、最上家の改易に依り浪人しました。
元和九年(1623)幕府に仕官、駿河大納言家付の宿老に任じられま
したが駿河大納言と兄、家光との徳川幕府三代将軍跡目争いに始ま
る一連の事件の責任を幕府に問われ道白は出家し、入道常諦と号し
ましたが寛永十九年(1643)秋田に流罪とされ、翌年、幽閉の地湯
沢の地に逝去されました。


この事件との関連で小野寺桂之助の常締屋敷(富士市所在)と王佛
冥合の主張の正統大石寺(富士市所在)は寛永八年(1631)に全て
焼かれたのです。


この「王佛冥合」が原因の焼討ち事件の後編が世に由比正雪の(慶
安(1648〜1651)事件といわれています。


三超院様はこうした正統大石寺の混乱の中で、正統法燈を受け継ぎ
日蓮大聖人の本因妙佛法を広宣流布しました。
三超院様の「三超」とは天・地・人・を直に貫く、即ち「王」とい
う意味です。




然し覇権主義社会の中での本因妙佛法は覇権者にとって危険思想で
あり、覇権者となった徳川氏は国体の正統皇の宗教を三超派異流儀
と呼び弾圧しました。
徳川幕府の「御定書百箇條」五十二項「三鳥派不受布施御仕置之事」
には、次のように記されています。



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           「正統天皇と日蓮」P114を参照
           http://syohnan.jp/nitiren.shtml






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この三超門流への徳川幕府の大弾圧は宗教史上、余りにも有名な事
件であります。
幕府の弾圧は三超院様崩御に宝永三年(1706)十二月十九日に





          身延山日亨の訴えで始まり、





この年信徒十人が罰せられました。「徳川実記」等によれば、次の
ような処罰が行われました。



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           「正統天皇と日蓮」P116を参照
           http://syohnan.jp/nitiren.shtml







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尚、旗本長田氏の血筋は後醍醐天皇の皇子宗良親王の裔孫に当たり
ます。
この頃、北陸の加賀藩にも三超院様の門に帰伏する者が多く出て、
能登の国滝谷の妙成寺が金沢藩庁に提出した享保九年(1724)正月
二十二日の文章に、次のように記録されています。




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           「正統天皇と日蓮」P117を参照
           http://syohnan.jp/nitiren.shtml







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幕府の大弾圧にも拘わらず、当時の江戸の人々は三超院様の門流こ
そが日蓮大聖人佛法の正統、富士の正統大石寺である事を知ってい
た様で多くの帰依者を得ましたが、結果再び幕府による取締りが強
化され享保十年(1731)の「徳川禁令考後聚」には次のように記録
されています。



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           「正統天皇と日蓮」P118を参照
           http://syohnan.jp/nitiren.shtml







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以上のように日蓮大聖人佛法の正統な伝持者、三超院門流は日蓮大
聖人の御予言に従い



       「本因妙大本尊」様と「三種の神器」



を合体させ王佛冥合・立正安国の正法を封建社会の中で強く主張し
ましたが今だ時至らず、徳川幕府より過酷な弾圧を永年に亘り被り
ました。


その弾圧の中で記録の多くは失われてしまいましたが、三超院様の
御遺跡の一部は沼津市大字根小屋にあります。


三超院様が御所を営まれた場所は旧阿野氏舘の地で現在地名を




           「字大城」(あざおおしろ)



といい、「三種の神器」と「本因妙大本尊」を奉祀した場所は



           「字大城」(あざおおしろ)



の北方に隣接した高台の地で天照大神を奉祀した地である事から今




           「字神明台」(あざしんめいだい)



と称されています。


延亨元年(1744)の三超派取締りに正統皇長寿院様は王佛冥合の法
華道場を閉じることを余儀なくされ、また正統皇としての身分を隠
さざるを得なくなり、躬ら十六菊家紋を隠し込め「一花無残」と号
して小野寺左京秀寿と名乗られました。


そうして、阿野舘の旧馬場の地に地涌、大宣に懸けて大泉禅寺を重
興し法華の正統、本因妙佛法の一切をここに隠し込められて寛政元
年(1789)一月三十日崩御されました。






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