正統大石寺とは


本門正宗、富士山久遠常在院本門寺の歴史は、日蓮大聖人が文永
十一年(1274)五月、甲州波木井郷山中に庵室を結ばれた時に始ま
ります。


即ち、日蓮大聖人は波木井郷山中に庵室を設けられ、そこを自らの
身延の地と定められました。


そして、九ヵ年住まわれ弘安五年(1282)九月、


「いづくにて死に候ともはかおば みのぶのさわにさせ候べく候」


と仰せられ同年十月十三日、武蔵国千束郷池上の地に御遷化あそば
されたのであります。


ご遺体は翌日、火葬にふされ、ご遺言に随って御遺骨は身延の沢に
帰還し、日興上人は其のご灰骨を以って日蓮大聖人の御影像を御造
立され御堂に奉祀されました。


その御影像の姿は日蓮大聖人に生写しであったので
「正身の御影」とも「身延御影」とも称されました。


この御影様が日興上人にとってのご本尊だったのであります。
日興上人が終生、この御影様を佛と仰ぎ給仕された事は次のお手紙
に明らかであります。



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□ (波木井)六朗入道御返事(法主全書・165)に

  「しょう人の御ほうせんに申上まいらせて候」


□  原殿御返事(法主全書・168)に

  「改心の御状をあそばして御影の御宝前に進らせさせ給へと
   申候を、」


□  西御坊御返事(法主全書・101)に

  「聖人御影の御宝前に申上まいらせ候」


□  西坊主御返事(法主全書・105)に

  「為孝養田一段 御影の御見参に申上まいらせて候」


□  了性坊御返事(法主全書・121)に

  「いつれも聖人の御見参二入まいらせ候了」


□  了性坊御返事(法主全書・122)に

  「法華聖人の御宝前に申上まいらせ候了」


□  了性坊御返事(法主全書・122)に

  「法華聖人の御宝前に申上まいらせ候了」


□  民部公御坊御返事(法主全書・134)に

  「貴状、先師宝前読上候了」


□  民部公御坊御返事(法主全書・136)に

  「御状 聖人の御宝前によみまいらせ候」


□  美濃公御返事(法主全書・139)に

  「恒例 聖人の御節料 筆廿管 墨五連御宝前に備 見参候了」


□  曽禰殿御返事(法主全書・147)に

  「聖人御影の御見参に入まいらせ候了」


□  曽禰殿御返事(法主全書・148)に

  「せり 御すの御はつを佛にまいらせて候」


□  曽禰殿御返事(法主全書・150)に

  「并にはしかみ一まろ 佛の御見参に申入」 


□  曽禰殿御返事(法主全書・151)に

  「御経 日蓮聖人見参二申入まいらせ候ぬ」


□  曽禰殿御返事(法主全書・152)に

  「又聖霊御具足 法花聖人の御宝前二申上」


□  曽禰殿御返事(法主全書・153)に

  「聖人御影の御見参二申上まいらせ候了」


□  曽禰殿御返事(法主全書・157)に

  「法華聖人 御酒御さかな種々に恐入て給候」


□  曽禰殿御返事(法主全書・161)に

  「芋殻 聖人の御見参二入参候了」


□  ぬくま殿御返事(法主全書・166)に

  「しょう人の御ほうせんに申あけまいらせ」


□  南条御返事(法主全書・176)に

  「ほとけしょう人の御けんさんに申しあげまいらせ候ぬ」

□  由比氏書(法主全書・177)に

  「佛聖人の御座候座二盆の謝日」


□  さへの四郎御返事(法主全書・179)に

  「聖人御見さんに申上まいらせ候」


□  御返事(法主全書・185)に

  「ほくゑしょう人んの御けんさんに申上まいらせ候に」


□  御返事(法主全書・186)に

  「法花しょう人の御ほうせんに申あけまいらせ候ぬ」


□  御返事(法主全書・187)に

  「ほっけしょうにんの御ほんせんに申あけまいらせて候て 
   たいしうら御きやうよみまいらせ候へく候」


□  御返事(法主全書・188)に

  「正月朔日 大衆 重栖御御影を仕候程」


以上のお手紙の外に法主全書に収録されている日興上人のお手紙は
同書の189・191・192・193・194.197.199・205等にも記されてお
ります。


これに対して日興ご門下以外にお弟子方の本尊は原殿御書に
「大国阿闍梨の奪取奉り候佛の代わりに其レ程の佛を作らせ給へと
教訓に進せ給て」

とある様に、大聖人が伊東八朗左衛門尉から寄進された釈迦立像
だったのであります。


美作房御返事に


「地頭が不法ならん時は我も住まじき由」


と大聖人の御遺言が認められてありますが、この佐渡公日向の進言
に依る地頭の釈迦像造立事件が院主日興上人の身延離山の引金とな
り日興上人は日蓮大聖人の身延御影を弟子の日仙師に背負はせ正応
ニ年(1289)波木井の郷を離山されたのであります。


また同時に日目上人も大聖人から託された

    「聖人御出世の本懐ノ南無妙法蓮華経の教主の木像」

          (原殿御書)


を自ら背負い身延の沢を日興師と共に離山されたのであります。


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即ち、大聖人御影は「色形」であり、聖人御出世の本懐の


       「南無妙法蓮華経」


を大聖人の魂魄と捕えれば「心形」であり、開眼銘の


       「本因妙大本尊」と


捕えれば「色心不二」の体となる訳であります。


こうして、身延山久遠寺の実体は全て富士に移され日目上人の父、
新田小野寺五郎重綱の所領、大石ヶ原(現在の富士市依田原字大石寺)
の地に身延山久遠寺は移建されたのであります。


永仁六年(1298)に至り、日目上人の親族、石川新兵衛の寄進に
依って重栖(現在の富士市中里町)に談所が設けられました。


この談所は日目上人の住坊の大石ヶ原法華堂の東方一里程の所で
あります。
そして日興上人は身延御影をこの地に移されたのであります。


故にこの談所を東大坊とも日興師の住坊故に白蓮坊とも御影ご奉安
故に身延とも称されました。


それに対して日目上人の住坊を西大坊とも「本因妙大本尊」様を
格護の故に蓮蔵坊とも久遠寺とも、また地名を冒して大石寺とも
呼ぶ様になったのであります。


そうして、日目上人の天奏に依り後醍醐天皇依り富士山本門寺の
勅許を賜った訳でありますが俗に云う「南北朝の騒乱」の為に
「本門寺」の完成は明徳の和談(1392)、即ち大覚寺統と持妙院
統の合一に依って応永十九年に竣工した事は、日影師の応永十九年
(1412)八月の大曼荼羅に


「大石寺遺弟 日影六十一 本門寺大衆兵部阿闍梨ひ□
(富士宗学要集p194)と示されている事を以っても明らかで
あります。


大石寺遺弟とは、「取り残された」との意味であり、
「兵部阿闍」とは中納言法印日伝師の弟子、観乗坊日了師の事で
あります。


富士山本門寺の建立された場所は富士の天母ヶ原の地であり、
これを「上坊」と称しその下方の諸堂の地が



             「万坊ヶ原」


と呼ばれました。


即ち、日伝師の譲状(富士宗学要集、第八巻、p80)に


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駿河の国富士の上方並に上野の精進町、北山の下方諸檀那道場の事
右寺中は 上野蓮蔵坊を移し申さるゝ所の間 惣門徒の本山と云々
然る間 日伝住持たるに依って弟子円乗坊日宣に譲り与う 

円乗坊一期の後は法泉坊日崇住持申すべし
法泉坊他界以後は先規の如く惣持ちたるべし 然りと雖も時宜に
随うべきか 仍て後日の亀鏡の為に譲り与うる所の状件の如し


       応永廿三年太歳丙申卯月八日
            法泉日崇に下す

                     日伝


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とあり


日興上人の御遺言には、、、、



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日蓮大聖人御影竝御下文(園城寺申状)

上野ノ六人ノ老僧 之ヲ方巡二守護し奉るべし
但し 本門寺建立の時は本堂に納め奉るべし 此の条 日興上人
の仰に依って支配し奉事 此の如し 此の旨に背き異を成し義を
失たらん輩は永く大謗法たるべきなり
誡めの条 件の如し


    正慶ニ年二月十三日



                日善(在判)
                日仙(在判)
                日目(在判)


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とあり、身延御影と「本因妙大本尊」は本門寺本堂でご遺命の如く
合体し、当然大石ヶ原の西大坊は取り毀されて天母の地に建立され
本門寺と成ったのであります。


この後に、日有師が大石寺廃寺跡を購入して大石寺の名目を再建さ
れた事は「御物語聴聞抄」に


「此ノ富士大石寺ハ上行所伝ノ題目弘通ノ寺ノ元ニテ候
 柳袋ノ彦次郎地頭方ヨリ得銭ヲカケラレテ候間 此ノ
 大石カ原ト申ハ上代 地頭奥津方ヨリ永代ヲ限リ十八貫ニテ
 買得ニテ候処ヲ 公事迄カケラレテ候事 末代大切ナル子細
 ニテ候間 此ノ沙汰ヲ成センカ為メニ三人ノ留主居ヲ定テ候
 エハ如何様ノ思案候ケルヤ 留主居此ノ寺ヲ捨テ除キ候間 
 六年マテ謗法ノ処ニ成候間 老僧立帰リ高祖聖人ノ御命ヲ継キ
 奉リ候

 サ候間一度謗法の処ト成リ候間 又地頭奥津方ヨリ廿貫ニ大石ヲ
 買得申シ高祖聖人ノ御命ヲ継タテマツリ候ト仰給ヘ候」


と在って明らかであり日有師が購入したのは廃寺と成った大石寺
(現在の富士市依田原字大石寺)の寺跡であり、当然、そこには




    「大本尊」も「御影」も「下文」も「園城寺申状」も




なくて当然であります。


大石日応師は日蓮正宗大石寺の伝説として


「其ノ当時 乱離ノ世ニ乗シ身延ノ郡徒来タリテ戒壇ノ本尊及ビ
 其ノ他ノ諸霊宝ヲ鹵掠セントスルノ説アルニ仍テ日有計テ眞ノ
 本尊及ヒ諸霊宝ヲハ駿東郡東井出村井出某氏ノ穴ニ蔵シ日有彫刻
 ノ本尊ヲ仮立シテ且ツ戒壇ノ本尊ニ擬セシナリ」


       (辨惑観心抄 P186)



と述べられています。


そして堀日亨師は『日興上人詳伝』で


          「大石寺三箇の大事とは

             一、 御影像
             一、園城寺申状
             一、御下文なり

           今は東台がいとに之有り」


との文が『本尊問答抄』の奥書に認められており現在の大石寺には
この三箇に何れも存在していない旨を明らかにされておられます。


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先師、日興上人が御遺命以って定められた大石寺三箇の大事の一つ
も伝えずして何が「大石寺」なのでありましょうか。


日興上人の仰せに依れば、この三箇の内、一箇でも失えば大謗法で
あると誡められているのであります。


それに対して当山、本門寺門主、小野寺家に今日迄伝えられている


          「本因妙大本尊」並に

             「御影」

           「園城寺申状」

            「下し文」は


大石寺日応が

「眞ノ本尊及び諸霊宝(大石寺三箇大事)ヲハ駿東郡東井出ノ穴ニ
 蔵シ」


と云っているそのもので、この東井出の穴の正統な主が日目上人の
御産館の末裔である筆者であり、そして、その幕末の当主を小野寺
左京と称した事は井出の穴の地、東井出村の大泉寺に現在残されて
いる左京寄進の什器やその位牌、記録、墓石等々に明らかで、


この小野寺左京重興の大泉寺について日因師は


  (有師物語聴聞抄佳跡・富士宗学要集第一巻 197)に


延亨三年(1746)(中略) 曹洞寺の僧録に体面す 大泉寺
と号す。
彼ノ宗義 此ノ宗旨ヲ談ス    (中略)


又吾祖ノ聖教多之ヲ有ス 謂ク金泥ノ法華経一部、延山ヨリ信玄
之ヲ取リ納メ置クナリ」


と記し


大聖人の聖教の多くが大泉寺に伝えられている旨を
記録しています。



即ち、当館は  『日興跡條々事』に



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一、本門寺建立の時、新田阿闍梨日目を座主と為し、日本国乃至
  一閻浮提の内に於て山寺等の半分は日目嫡子分と為し管領せ
  しむべし。
  残る所の半分は自余の大衆等之ヲ領掌すべし


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の誡の随って正統に本門寺の本堂である蓮蔵坊、正統大石寺を
今日迄受け継いで来たのであります。


故に当、本門寺こそ正統な大石寺であり身延山久遠寺なので
あります。



永い覇権主義社会の中での歴史の垢を洗い流して共に末法五濁社会
の衆生の為に日蓮大聖人の佛法と佛教を広宣流布出来る日の来る事
を念願して。




              合掌


            南無妙法蓮華経
            南無妙法蓮華経




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