本門正宗と日蓮正宗の違い


本門正宗とは宗祖日蓮大聖人が弘安二年十月十二日御自身御造立の
『本因妙大本尊=本門事戒壇の大本尊』を蓮蔵坊日目上人以来正統
に伝える唯一無二の宗門であり、その宗名は日蓮大聖人が『本因妙
抄=法華本門血脈相承事』に

「名とは法の分位において施設す。体とは宰主を義と為す。
 宗とは所作の究竟なり」

の「結要付属」に基ずくものであります。


これに対して「日蓮正宗」と云う宗名はその宗務院が発行する
『日蓮正宗略解』に


× 「本宗は日蓮正宗という。 宗祖日蓮大聖人は末法万年の長い
× 時代さらに未来にわたるすべての民衆を救済する仏であり、ま
× た仏教の真実の教義体系からいえば、あるゆる仏・菩薩の根元
× 即ち本仏としての意義を持たれている。
×
× 本宗はかかる大聖人の宗旨と宗教を現在において正しく伝える
× 唯一の宗団であるから日蓮正宗と称するのである。」


と主張しています。



■ 正統大石寺(本門正宗)

■ この様な主張のみでは六師外道が自ら求める所を唯一正しいも
  のとして自己主張する所と何ら異ならない。
  まして日蓮大聖人の一時期を未究竟(いまだ究竟にいたらず)
  と称してはばからない教団に於いてや。



『日蓮正宗略解』

× 本宗でも上代は、法華経に依って宗旨を立てる意味で法華宗と
× いい、天台法華宗と区別する意味で日蓮法華宗という時代もあ
× った。



■ 正統大石寺(本門正宗)

■ 日蓮正宗では今日に於いても天台大師の科段に随って法華経を
  読んでいる事は明らかであり何をして日蓮法華宗なのであろう
  か?



『日蓮正宗略解』

× 明治以降、身延山系では釈尊を仰ぐ宗旨なので適当でないのに
× もかかわらず先に日蓮宗と称した。
× この状況において大聖人より二祖日興上人へ宗旨を詔継する富
× 士山系は一往、日蓮宗興門派と名乗ったこともある。



■ 正統大石寺(本門正宗)

■ 始成正覚の釈迦と日蓮正宗で云う未究竟の大聖人は条件は同じ
  始成正覚ではないか。
  本門正宗(正統大石寺)では本門の釈尊とは日蓮大聖人の用と
  捉え久遠元初の当体となす。


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『日蓮正宗略解』(江戸時代に建てられた偽大石寺)

× 明治三十三年九月、大聖人の血脈を相承する大石寺が総本山と
× して独立した時日蓮宗富士派と公称し、明治四十五年6月7日、
× さらに日蓮正宗と改称したのである。



■ 正統大石寺(本門正宗)

■ 大聖人の血脈とは如何様なものを云うのであろうか?

  現在の大石寺(江戸時代建立の偽大石寺)は富士宮市に存在し、
  正統大石寺は現在の富士市に存在していた。

  この正統大石寺を徳川幕府は「異流義」として焼き打ちし天台
  法華の亜流の信徒、敬台院の手に依って建立されたのが現在の
  大石寺である。

■ まして、日蓮大聖人が念仏無間地獄と称した浄土の信徒、徳川氏
  御台所天英院の菩提を以って現在の(富士宮の)大石寺が経営
  されて来た事は歴史上の事実であります。

  また、現在の大石寺はどこに所属しどこより独立したのか?
  独立以前は如何なる立場にあり、また、大聖人の教義を如何様
  にしていたのか?

  その妥協は大聖人の佛教上許されるものだったのか?



『日蓮正宗略解』(江戸時代に建てられた偽大石寺)

× しかし、過去の名称の如何に関らず、又、時の為政者が仏教宗
× 団に対する行政上の強制的離合集散の措置とは別にわが宗門が
× 大聖人の宗旨を正しく有りのままに詔継する唯一の宗団である
× と確信する上に日蓮正宗の名称が存在する。



■ 正統大石寺(本門正宗)

■ 大聖人の教は為政者との問題に対して別であってはならない。
  日蓮正宗では『立正安国論』の教えはどうでもよいのか?

■ また「唯一の宗団」との確信があれば身延系がなんと宗名を名
  乗ろうとも最初から「日蓮正宗」と名乗ればよいではないか。
  
  名乗らなかったのはどうしてなのか?


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『日蓮正宗略解』(江戸時代に建てられた偽大石寺)

× この意義の上から、日蓮正宗の歴史は大聖人の立教により建長
× 五年四月二十八日に始まるのである。



■□ 正統大石寺(本門正宗 法人名は太平教団))□■


■ 現大石寺六十七世法主日顕氏は昭和六十一年四月八日付けの
  『聖教新聞』紙上で日蓮大聖人が文永より建治二年の頃までに
  著された大本尊及び大曼荼羅の全ては『未究竟』であると断言
  しているのであります。

■ 『未究竟』を正しく読めば 『いまだ究竟にあらず』 であり
  この様な大本尊や大曼荼羅が存在するはずがありません。
  まして、御本佛と称せられるご人格なのです。
  『未究竟』では大聖人は『脳乱者』ということになってしまい
  ます。

■ 「建長五年四月二十八日に始まる」 とは日蓮正宗の論では
  「佐前佐後」の教義の立分で「顕本」前の「迹義」を唱えてい
  た時期を以って立宗時とは日顕氏の云う如くであれば大聖人の
  宗旨とは婆羅門宗と云う事になってしまいます。

■ これに対して「本門正宗」が唱えるところは『法華経』を根本
  とした佛教の本質であります。

  数世紀に亘る覇権主義・封建体制の中で佛教本来の真実は損な
  われて現在に至ったのであります。
  

■ 三身即一身の如来であります日蓮大聖人の御予言の「我滅度後
  後五百歳中広宣流布」の時を迎え、大聖人が蓮蔵坊日目上人に
  託された「本因妙大本尊」を根本として説かれる「法華経」が
  「本門の妙法蓮華教」であり、これを「本門正宗」というので
  あります。


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■ 本門正宗では宗祖日蓮大聖人様を『妙法蓮華教如来寿量品』に
  「是時其父還来帰家」と示されるところの「父」と仰ぎその教
  えに随うのであります。

  「是時」とは正法時・像法時・末法時の三時を示すところであ
  ります。


■ 「是」(ゼ)とは主語、即ち「諸子」を指し示し時(ジ)とは
  その「諸子」の状況である『飲他毒薬 薬発悶乱宛転于地』を
  示す処であります。


■ この文を正しく読み下せば「他の薬を飲んだ後、薬は毒を発し
  悶(いきたえ)乱(みだ)れ宛(あたかも)地(ち)于(に)
  転(ころ)がる」であります。

  他(た)とは『譬如良医』(20号参照)のつくり示す以外の教
  であり『明練方薬』とは『妙法蓮華教二十八品』を説明書きと
  する『本因妙大本尊』であり本因妙大本尊から発する力が毒に
  冒された「諸子」即ち衆生を皆癒するのであります。

  故に『諸子息』にとって「良医」は「父」であり「父」の職業
  が医師であり、しかもその父は「名医」なのであります。


■ この「良医」の良医たる所以は「頭破作七分」即ち「本末未究
  竟(ほんまつくっきょうせず)と諸法の実相をとらえている人
  々を「本末究竟」せしめることであります。

  即ち「未究竟」(みくきょう)を現代の医学用語で表現すれば
  「精神分裂症」という状態であります。


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■ 『妙法蓮華教如来寿量品』に示されている「良医」とは精神分
  裂症を治癒せしめる根本の方便(てだて)を創りなす人であり
  その人が「智慧聡達」でなければならない事は当然であります。


■ 故に御本佛を「良医」に譬えその実態をして「大覚世尊」と尊
  称するのでありこの御本佛が日蓮大聖人なのであります。


■ 然るに日蓮大聖人を宗祖と仰ぐ「日蓮正宗」という団体では日
  蓮大聖人の唯一の正統な法義を相承する処と自称し宣伝しなが
  らその門流が「中興」と仰ぐ 日寛(ニッカン) という僧は
  宗祖日蓮大聖人は弘安の年以前は「未究竟」であり然も「日蓮
  大聖人は示同凡夫のゆえに不慮の書き誤りががあっても当然であ
  る」と「観心本尊抄文段」に述べているのであります。


■ 御本佛に謬りがあってよいものでしょうか?
  「観心本尊抄文段」の原文は次の如くであります。


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× 「夫レ智者ノ弘法三十年」文。
× 此の下三ニ結歎亦為ス二ト、初ニ正ク本師を歎ス、次ニ因ンデ
× 末学ヲ破スル也、初ノ文意ハ夫レ智者大師ハ仏滅後千四百八十七
× 年梁武帝大同四年ノ誕生、一八才出家、二十三才南岳ニ値ヒ三十
× 才金陵ニ至リ翌年、瓦官寺ニ居シ玄義ヲ講ス、

× 而ル後五十七才玉泉寺ニ於テ止観ヲ講ス、其ノ後六十才ノ御入滅也、
× 故ニ玄義開講従リ御入滅に至ルマデ正ク是レ三十年ナリ故ニ智者ノ
× 弘法三十年ト云フ也。

× 文ニ云ク(勧心本尊抄)二十九年之間玄文等ノ諸義ヲ説クト者
× 蒙ニ云ク(不受不施派の学者安国院日講の著『録内啓蒙』)
× 入滅ノ年ヲ除キ二十九年ノ間ヲ玄文等ノ弘法ニ属スル歟、
  或ハ五十七才ノ説法ヲ第三十ト為シ其前ヲ玄文等ノ弘法ニ属ス
  ル歟ト云云。

× 寛(日寛)案セシメテ云ク、三十一才玄義開講従リ五十七才止観
× ヲ説キ下シ春ニ至ル、正ニ是レ二十七年也、故ニ二十九年ト者恐
× ラク謬レリ二十七年ニ作ル応ニ字形相似ノ故ニ伝写之レヲ謬ル歟、

× 今例文ヲ考ルニ撰時抄ノ下ニ云ク、玄奘三蔵六生ヲ経テ月氏ニ
× 入リ十九年ト云云、蒙抄十一ニ云ク、月氏ニ入リ十九年ト者恐
× クハ謬リ御直筆ハ十七年也、語式ノ如シト云云、

× 既ニ 十七年ヲ以テ謬ッテ十九ニ作ル、今後然ル可キ歟、
× 若シ御真筆(勧心本尊抄)ニ縦ヒ十九年ト有リト雖モ仍是レ
× (宗祖日蓮大聖人は)示同凡夫ノ故ニ不慮ノ書謬ナラン歟、

× 例セバ妙薬証真ニ告クルガ如シ又下文ノ緒論師事章ノ如キ云云、
× 又御書四・十三第二・廿六之レヲ見合ス可シ、亦復知ル当ニ宗
× 祖ノ弘法亦三十年ナリ、三十二才従リ六十一才ニ至ル故也、

× 亦復宗旨建立已後第二十七年ニ当テ己心中ノ一大事本門戒壇ノ
× ヲ顕シタマヘリ学者之レヲ思ヒ宜ク合スベシ云云。


■ 以上の様に述べているのであります。
  自ら宗祖であり御本仏と仰ぐ日蓮大聖人の仰せを「謬り」と断定
  した日蓮正宗大石寺日寛師の論拠はいずこにあるのでしょうか。


■ まして「示同凡夫ノ故ニ不慮ノ書謬り」とは『妙法蓮華教如来
  寿量品』に日蓮大聖人の智慧は『智慧聡達』と示されているに
  も拘らずその智慧に於いて「示同凡夫」とは如何なる文証にも
  とずく論でありましょうか。


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■ 故に「亦復宗旨建立已後第二十七年ニ当テ」の論は日寛師の一方的
  思い込みであり日寛師の云う「本門戒壇ノ本尊ヲ顕シ」た論拠とは
  ならないのであります。

■ 本門戒壇の大本尊である「本因妙大本尊」は御本佛日蓮大聖人が
  「我今当設方便」(イマワレマサニイタニタヨリヲモウケル)と
  『如来寿量品』に明らかに示されているのであり日寛師が証明す
  べきものでもなく論ずるべきものでもないのであります。

■ 御本佛、日蓮大聖人は『如来滅後五五百歳始勧心本尊抄』に
  「今ニ指ス自界叛逆・西海侵逼ノ二難也。 此時地涌千界出現
  シテ本門ノ釈尊ヲ脇士ト為シテ一閻浮提第一ノ本尊可(レ)立
  (ニ)此国(一)、月支・震旦(二レ)有此本尊(一)。」
  と示されております。

■ 日蓮正宗や單称日蓮宗では「今に指す自界叛逆・西海侵逼の二難也。」
  と読むべき文を

  「今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり。」

  と読み下しております。

■ 「今の」と読むならば一閻浮提第一の本尊は此の時点、即ち文永十年
  四月二十五日時点で既にご造立されていなくてはならないと云う事に
  なってしまいます。

■ 自界叛逆の難とは文永九年(1272)二月の幕府執権、北条時宗の
  庶兄南六波羅探題、北条時輔の騒動で世に「二月騒動」と云うところ
  のものであります。

■ 西海侵逼の難とは文永十一年十月五日の蒙古来襲に始った世に云う
  「文永の役」であります。
  「此時地涌千界出現シテ」とは「発迹顕本」の義であり、故に「本門ノ
  釈尊ヲ脇士ト為シテ」であり「一閻浮提第一ノ本尊此ノ国ニ立可」で
  あります。

■ 日目上人が一閻浮提の御座主と称されている訳は此の「一閻浮提第一ノ
  本尊」を『如来寿量品』の次第に随って弘安五年十月十一日、大聖人
  から直授給わったからなのであります。


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■ 『妙法蓮華教如来寿量品』には「汝等当知 我今衰老死時已至 
  是好良薬今留在此」(読み方:ニョウトウトウチ ガコンシロウ
  シジイシ ゼコウロウヤクコンルザイシ 意味:なんじまさに
  ひとしくしれ いま われ おいおとろえてそのときすでにい
  たりぬ このよきくすりをいまとどめてここにあり)
  
  とあり「汝」とは日目上人を示す処であります。

■ 故に富士門流の古儀を収録した左京阿日教の記録(仮題・穆作
  抄・富士宗学要集第二巻収録『三箇の秘法の事』に「三箇秘法
  とは日蓮・日目と御相承し、日興聖人は唯授一人の相承たる間、
  我臨終の時、耳にささやけと仰せられけるほどに、其剋に御耳
にこそ唱えて聞せ奉り御座す事なり、

  大聖より御聴聞有る故にこそは日朗の卿公(日目)は御法門聴聞
  とて強く目(日目)の耳を引きたまふ日朗の耳引き法門とは今の
  三箇のいはれなり、此時は日蓮・日目・日興と次第し御付法は
  日蓮・日興・日目と次第するなり、此三箇秘法は当宗の独歩なり。

  若此御書の旨に背かば八万聖教を胸に浮べ十二部を具に覚えたる
  人なりとも皆、解の入らぬ宗旨なれば信の道に背かん、当宗の幡
  立て所なり云云」とあります。


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■ 又、『類聚翰集』(富士宗学要集第二巻収録)には「他門徒の
  御書には在世の釈尊を本尊とすると思ひて書きなせるか、本門
  三箇の秘法は寿量品の文低に秘し沈め給えリ、

  文低とは久遠実成の名字の妙法を余行に亘たさず直達の正観、
  事業の一念三千の南無妙法蓮華経是なり、権実理なり本迹事
  なり、又権実約智約教(一代応仏本迹)本迹約身約位(久遠
  本迹)、又、雖脱在現具謄本種といえり、

  釈尊の久遠名字即位の御身の修行を末法今時日蓮が名字即の身
  に移せり、理造作に非ざる故天真と曰ひ証智円明の故に独朗と
  云うの行儀本門立行の血脈之を註す秘すべし秘すべし。
  弘安五年太歳壬午十月十一日


 (此で言う「久遠実成の名字の妙法」とは日目上人が日蓮大聖人
  より直授の本門正宗本門寺本堂奉安置の「本因妙大本尊」を示
  したものであります。)


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■ 此の三箇の秘法余流に存知無きも道理なり、池上に於いて奥州
  新田卿公日目に余人を去って唯授一人の御相承、金師金口の相
  承是なり、

  日興には臨終の時、耳に私語げと仰せ有る故を以って御臨終の
  時、御参り有りて御耳にささやき給ふなり、唯授一人の故に知
  られざる事なり、

  此の故に上野(大石寺)は日蓮聖人・日目と法水を来たし三世
  常住日蓮聖人の御寺、報佛如来(本因妙大本尊)常満常顕・真
  実浄土・第一義諦・久遠実成多宝塔中大牟尼世そんけいの法的
  の聖人の御寺なり。


  (此こで云う「上野」とは正統大石寺を指したものであり阿波
  国主蜂須賀家の菩提寺として江戸初期に京都要法寺の日精師
  に依って建立された現在の日蓮正宗大石寺と称する寺を示し
  ているものではありません。

  遺伝子として日目上人の御産館遠裔であり在所移れども大聖
  人佛法の唯授正統血脈、本門正宗本門寺を示すものであります。)


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■ 重須は大石寺をお定めあって御隠居所たる故に正月の松なども
  御門にたて立てたまはざるなり、其の菩薩界常修常照無始無終
  なり、大石寺には佛界の始め(本因妙大本尊)を立て重須には
  九界の菩薩界を初め(本門戒壇の願主弥四朗国重等法華講衆)
  として佛菩薩相対して事業の本因の妙法蓮華教の本迹全く余行
  に分かれざりし妙法は本、唱うる日蓮は迹なり。

■ 余行に亘らざる法華経本迹、義理上に同じ直達の法花は本門、
  唱うる釈迦は迹なり、今日蓮が修行は久遠名字の振舞に介爾計
  も違はざるなり。

■ 下種法花経教主の本迹、自受報身(本因妙大本尊)は本・上行
  日蓮は迹なり、我が内証の寿量品とは脱益の寿量の文低本因妙
  の事なり、其の教主は某なり。」とあります。


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■ この日蓮・日目と次第する佛法の血脈相承を「本化付属」とも
  「別付属」とも云うのであり、その意は『妙法蓮華経神力品」』
  に「爾時千界微塵等菩薩摩訶薩従地涌出者皆於仏前一心合唱膽
  仰尊顔而白仏言世尊我等於仏滅語世尊分身所在国土滅度之処当
  広説此経所以者何我等亦自欲得是真浄大法受持読誦解説書写而
  供養之」と在るところであり故に富士門流では古来「日目上人
  再誕して広宣流布する」との言い伝えを守り伝えているのであ
  ります。

■ これに対して日蓮・日興・日目と伝える相承の意は弘安五年十
  月八日の日蓮大聖人の御遺命であります。
  即ちその内容は日興上人に依って書記され四人の高弟が書判を
  認めたもので冒頭に「定」とあり、次いで「一弟子六人事不次
  第」と在って「日持・日頂・日向・日興・日朗・日昭」の各師
  の交名を記し「右六人者本弟子也仍為向後所定如件」とあります。
  この付属を「亦化付属」と云うのであります。

■ 故にその付属の条件は六人の本弟子は上下「不次第」、、
  即ち六人の本弟子は皆平等なのでありその意は『妙法蓮華経嘱累品』
  に「爾時釈迦牟尼仏従法座起現大神力以右手摩無量菩薩摩訶薩頂而
  作是言我於無量百千万億阿僧祇劫修習是難得阿耨多羅三藐三菩提法
  今以付属汝等」と示し給う処であります。

■ また、「月支・震旦未有此本尊」とは、「月支」即ち釈尊は知
  っておられたけれど衆生の機根未熟故に明らかに顕わされなか
  った処のものであり「震旦」とは天台智者並びにその末学を示
  したところのもので全く「久遠元初」の御本佛の存在を無視し
  「正しい佛法を理解しない処の人々達」との意であります。

■ 故に日蓮大聖人は『観心本尊抄』に「久遠元初」の件を「教主
  釈尊は五百塵点已前の佛なり因位も又是くの如し」と仰せられ
  「天台智者」に関しては、「天台大師云く、薩とは梵語なり此
  には妙と翻す等云云。私に会通を加えれば本文を黷(けがす)
  が如し」と評論しているのであります。

■ 「私に」とは日蓮大聖人御自身を示すところであり「会通」と
  は「てらしあわせ」の意で「本文」とは『妙法蓮華経』にで
  あり「黷」とは御本佛の意をないがしろにするとの意であります。


■ 大聖人が言わんとする処は天台等が述べるところは佛説に照ら
  し合わせた時に嘘妄であって真実ではないということであります。

■ そしてまた、「本門戒壇の大御本尊を法体とする一切の法儀、
  講学、化儀、修行、そして広宣流布の大誓願、、本門寺の戒壇
  建立の遺命は日興上人より日目上人、日目上人より日道上人へ、
  そして我が日蓮正宗の代々の法主上人に受け継がれて七百余年、
  微塵も絶えることなく今日に伝えられているのである。」

    (日蓮正宗総本山大石寺発行・日蓮大聖人正伝)
  
  と自己宣伝している日蓮正宗総本山大石寺には自ら言い触らすが如
  き実態は全く備えていないのであります。


■ 大石寺の正史を捉える為には特に徳川幕府の宗教政策の概要と
  日蓮大聖人の佛経の本質を知らなければ「正統大石寺」が破却
  (焼失)され、そうした後、あたかもそれを再建するように装
  い日蓮大聖人の佛経の本質とまったく異質な寺が同じ大石寺
  (日蓮正宗総本山)の寺号のもとに何故建立されたのかという
  謎を解くことはできません。


■ 現在の大石寺が諸々の資料を諸方から寄集めて日蓮大聖人以来
  七百余年の歴史を証明しようとして無理算段している事は日精
  師の著「富士門家中見聞」(富士宗学要集第五巻収録)に始っ
  て日因師の「日有上人御物語聴聞佳跡」(富士宗学要集第一巻
  収録)

  「日目上人日道上人御由緒の事」(富士宗学要集第五巻収録)
  以下日蓮正宗総本山大石寺五十九世堀日亨師の「富士日興上人
  詳伝」等に至る迄、各々に相違を見せ、特に堀日亨師の「富士
  日興上人詳伝」の文に至っては日蓮正宗大石寺の御本仏論、
  「師の曰く、深秘なり 代々の聖人悉く日蓮なり と申す意な
  り」(日蓮正宗の御本尊七箇相承の伝)

  で あられるはずの大石寺法主上人日精師がその末葉の御本仏
  堀日亨師から拝した時大石寺日精御本仏の示された日蓮正宗大
  石寺の歴代血脈相承の譜は真にいいかげんなものであって信を
  置くにたえないと「富士日興上人詳伝」の中で酷評されておら
  れます。

■ 堀日亨師の言を借りれば日精師の示す日蓮正宗の血脈相承の内
  容について「日蓮聖人年譜」に於いては「またこれらを道中日
  記等に現存するように精師(日精)は記せるも宗内には本末と
  もにその写しの片影だに見えず。
  重須本門寺でも正写ともに現存せず、又、かって在りしという
  文献もなし、これまったく本師(日精)の夢か」

  との批評であり堀日亨師が「徳川時代以後の富士門の史談は、
  ほとんど「家中抄」から成っておるくらいであるから、、」
  と自ら言う内容が日蓮正宗総本山大石寺の血脈相承の譜なので
  あります。


■ 日蓮正宗総本山大石寺堀日亨著「富士日興上人詳伝」の中から
  その問題点を挙げると


  「精師の<家中抄>はさらにこれに加上して、少しも当時の実情
  を顧みぬ形を呈しておるよりも、むしろ無知で無精で単に自己
  (日精師)の経験世界に準じて書きなぐっておるように見ゆる」
  (同第四章第五節)


  であり、これに対して日精師が <家中抄> を著された心は
  「祖師(日興)の伝文不同なきに非ず、日順の「血脈抄」極略
  にして未だ窺い測りやすからず、日時「三師の伝」はわずかに
  一、二の行業をあげて未だ詳審ならず。


  日辰の「祖師伝」は多くは西山の説を記して御筆に違する事有り、  
  亦、富士5所の所伝にすこし差会あり。

  是によりて予、寛永庚辰(十七年)の春、日瑶中陰のうち別に報
  謝の儀なく此の「三伝」(血脈抄・三師の伝・祖師伝)を集め
  て一巻として報恩謝徳の一分に擬したてまつりき、其の後、御
  筆本尊并に遺弟の書籍記文等を拝見するに諸伝相違の事甚だ多く亦
諸書に載せざる行相幾許ぞや、


  爰を以って今御筆を先として遺弟の記文取るべきものは之を録
  諸伝の善説には之に順し、善ならざるは頗るために改め易へ次
  第前後をただす、

  猶恨むらくは御筆記文は多く天下の大乱散失し或は国々の門徒
  へ持参し所伝の法門は住侶闕減に習ひ失ひ唯見聞の及ぶ所、纔
  (わずか)に之を記録して未だ精密ならざるなり、
  豈に(かんばし)く興師の道を尽くすにたらんや、

  庶幾(こいねがわく)は所々散失の御筆並に本尊記文等見聞に
  したがって之を記して其の欠を補い給はば是れ吾がねがふ所なり。


  時に寛文第二(玄黙摂提格)冬季十八日、武州江戸下谷常在蘭
  室に之を誌す、  行年六十三

                   日精  在判




■ と、上記のように日蓮正宗大石寺の法主上人の日精師が自ら
  示されている様に当時の日蓮正宗大石寺には日蓮大聖人・日興
  上人・日目上人以来の法も化儀も全く存在していなかったので
  あります。


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■ 堀日亨師が日精師を評して「師(日精)は要山(京都要法寺)
  出身であり、同山の主義を石山(富士宮大石寺)に輸入した仁
  であるから、ことさらに、その中祖日辰の説を無検討に尊重し
  たるに」、、、と述べておられますが誠に当を得ているのであ
  ります。

  但し、堀日亨師は日精師以前に日蓮正宗大石寺が存在していた
  と思い込んでいる所に間違いがあるのです。


■ 日蓮正宗大石寺は日精師に依って建立された新寺院でありそれ
  以前の大石寺とはまったく関係はありません。

  延いて関係といえば現在の富士市依田原字大石寺(よだはらあ
  ざたいせきじ)に存在していた本来の大石寺所蔵の聖筆等を略
  奪して大石寺と称したことであります。


■ 現在、日蓮正宗大石寺に蔵する日蓮大聖人の真筆や古文
  書等は堀日亨師が

  「現存大石の多数のものは、南条の下之坊
  (本来は現大石寺には無関係の寺院)保管の物であり興師(日興)
   の延山(身延)時代には関係ない」

  と言っている様に日蓮正宗大石寺伝来の品ではないのであります。


  また、いみじくも堀日亨師は日蓮正宗大石寺が本門戒壇の大御
  本尊と自己宣伝する「願主 弥四郎国重」の板本尊の伝来に対
  しても日興上人の身延離山の時は所持しなかった旨を

  「御荷物の中に『生御影』『御骨』はかならず御奉持であるべ
   きであるが『板本尊』にいたっては研究の余地が存ずる」

  と表現しておられます。


■ 日蓮正宗大石寺、否、佛法に於いて「本尊」こそ根本の大事で
  あり、その根本の大事である大石寺「板本尊」を日興師が身延
  離山の時に御奉持されたと云う確信を持てないとは博覧強記の
  堀日亨師に於いて如何なる心中を以って延べたるや、その胸中
  察するに余りあります。


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