本門正宗とは

小野寺直氏の著書
    「世界を救う一閻浮提の大本尊立つ・日蓮法華経の正統解釈」
より引用します。
     (※ この書籍は平成九年五月に発行されました。)

                 はじめに


わが本門正宗は日蓮大聖人の出世の本懐の「本因妙大本尊」様を奉
安し日蓮大聖人の御遺命を護持している宗門であります。


即ち、本門正宗とは、宗祖日蓮大聖人ご自身が造立、弘安二年十月
十二日に、ご開眼の「本因妙大本尊」(本門事の戒壇の大本尊様を
蓮蔵坊日目上人以来、正統に伝える唯一無二の宗門であります。


故に、宗名は日蓮大聖人が『本因妙抄』=『法華本門宗血脈相承事』に

   「名とは法の分位に於て施設す。体とは宰主を義と為す。
    宗とは所作の究竟なり。」

と申されている所の結要付属に基ずいています。


そして、佛教本来の真実は三身即一身の如来であるところの日蓮大
聖人の御予言の「我滅度後後五百歳中広宣流布」の時を迎え、大聖
人が蓮蔵坊日目上人に託された御本佛、即ち日蓮大聖人の御当体の
「本因妙大本尊」を根本として初めて解き明かされる妙法蓮華教で
あり、如来秘密の本義を厳格に守って今日に至っているのが

           「本門正宗」

であります。



そこで、以下「本門正宗」の事跡を識(しる)して、当宗門の正統
佛教を明らかにし、世の邪宗教団における虚偽の批判を試み、破邪
の一文にしたいと思う次第であります。
そして少稿がその用となれば拙僧にとってこの上ない喜びであります。


猶、予の監修と騙り「大本尊ふたたび出現す」世に流布す。
その書の内容誤り多し。
故に少稿を以って改められんことをこい希(ねが)う。



   平成九年五月二十九日

   慕古相模国山ノ内庄内先祖旧地  本門正宗本山隠寮にて


   日目上人産土館正裔・南主  日了記 之



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           唯一の正統佛教


本門正宗が唱えるのは佛教の本質であります。


即ち、佛教は数世紀にわたる覇権主義・封建体制の中で、その本質
は大覚世尊の御予言の如く覆い隠され、本来の真実は損なわれてし
まいました。

しかし、当本門正宗は日蓮大聖人の正当性を厳守し、佛教本来の真
実を伝えてまいりました。


いわゆる、本門正宗は唯一相承するところの『本因妙大本尊』様を
根本として『妙法蓮華教』を捉え『妙法蓮華教』を勝応身の御本佛
日蓮大聖人の教えそのものであると理解し、現在の身延派日蓮宗や
日蓮正宗大石寺のように天台大師読みの「妙法蓮華教」に教義の根
本を置かず、

日蓮大聖人の真実の教えに随い、特に佛教教義の根底にある智慧と
哲学のすべてを明らかにして、佛および佛教の正統なる伝持者の予
言に完全に基ずいている事を証明する所であります。


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日蓮大聖人は『三位阿闍梨御坊御返事』に

 『 抑当世の人々何れの宗々にか本門の本尊・戒壇等を弘通せる、
   仏滅後二千二百二十余年の一人も候はず。

   日本の人王三十代、欽明天皇の御宇に仏法渡って今に七百余
   年、前代に未だ聞かざる大法この国に流布して月氏・漢土・
   一閻浮提の内の一切衆生仏に成るべき事こそ有り難けれ。

   又已前の重、末法には教・行・証の三つの倶に備はれり。
   例せば正法の如し等云々。


   已に地涌の大菩薩・上行(是時其父還来帰家の父)出でさせ
   給いぬ、結要の大法亦弘まらせ給うべし。
   日本・漢土・万国の一切衆生は金輪聖王(法華経に云う遣使)
   の現れ出るはじめのしるしの優曇華(曼荼羅)に値い得る成る


   在世四十二年並びに法華経亦門十四品に説かせ給はざりし大
   法、本門正宗に至って説き顕し給う。』


   と御示しであります。

即ち、本門正宗が説き顕された時、「在世四十二年並びに法華経亦門」
の実態を衆生は始めて明らかに知る事ができるのであります。


即ち、その実態とは日蓮大聖人が『唱法華題目抄』に「第六天の魔
王は仏滅後に比丘・比丘尼・憂婆塞・憂婆夷・阿羅漢・辟支仏の形
を現じて四十余年の経を説くべしと見えたり、通力をもて智者・愚
者をば、しるべからざるか。」

   と仰せられております。


第六天の魔王とは衆生に互具した地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・
天・声聞・縁覚・菩薩・仏のはたらきの中の「天界の部」の生命状
態を云うのであり、その有頂天に住む「魔」は仏から見て最も始末
が悪いという意味で「王」というのであります。


中華思想を根本とした天台の科段の法華経は本門正宗の時に至って
は「魔」の用をなすものであり、その意に於いて天台大師も「第
六天の魔王」という事になるのであります。
なぜならば天台の解釈では「久遠元初」の仏を「始成正覚」となす
からであります。


有頂天なるが故に自己の誤りを誤りと気付かず、また素直に認める
事ができず、「本門正宗」の正しい教えを聞き入れる事ができない
悪しき生命状態を生みなすからであります。


実態としての魔王・魔民・は「本門正宗」を悪し様に宣伝する僧や
衆生を示している事は


  『第六天の魔王は仏滅後に比丘・比丘尼・憂婆塞・憂婆夷・
   阿羅漢・辟支仏の形を現じて四十余年の経を説くべしと
   見えたり』


と仰せられていて明白であります。


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この「四十余年の経」とは『無量義経』に「四十余年未顕真実」の
論に示される「華厳時」から「般若時」に至る四十余年であります。

しかし、実際には『無量義経』に云う「四十余年」ばかりでなく
天台大師の読む「妙法蓮華経」もまた「未顕真実」であり権大乗の
部なのであります。

唯、本門正宗のみが御本佛の円融円満な大乗なのであり真実の佛教
なのであります。


日蓮大聖人は『今此三界合文』に

  『本門に於いて亦二種有り。 一には随他の本門。 二には随
   自の本門。 初めの随他の本門とは五百塵点の本、初めの実
   成は正しく本行菩薩道を修むる所の行に由る、

   久遠を説くと雖も其の時分を定め遠き本を明かすと雖も因に
   由り果を得るの義は始成之説に順ず。
   具(つぶさ)に寿量品の中に説く所の五百塵点等の如し、の文。
   
   また云く、次に随時の本門、真実の本ちは釈迦如来は是れ三千
   世間の総体、無始従(よ)り来(このかた)、本来自證無作の
   三身、法法皆具足して闕減有ること無し。
   文に云く、如来秘密神通之力と。』


即ち、

法華経の読み方に二通りあり、一には天台大師の読んだ読み方を基
本とした天台宗・日蓮宗・日蓮正宗等の「法華経」の捉え方であり
ます。

これ等の捉え方を「随他意の本門」と称し過去の「本門宗」と云わ
れた処で、それは「日蓮大聖人は竜ノ口に於いて発迹顕本した。」

            とか

「佐渡に於いて仏として開目された。」と論ずる処であります。


例えば

日蓮正宗の中興と称される第二十六世日寛師は「観心本尊抄文段」
(富士宗学要集四巻二三三ページ収録)に、

「若し御直筆に縦(たと)え二十九年と有りと雖も仍(すなわち)
是れ示同凡夫の故に不慮の書謬(かきあやまり)ならんか」

と云われております。


その意味は始成正覚であり、もっと端的に云えば宗祖である日蓮大
聖人の智慧は凡夫と同じであったと云っているのであります。


            本門正宗では

日蓮大聖人の体は示同凡夫であったが智慧に於いては釈尊であると
拝するのであります。


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即ち「随他の本門」読みの釈尊とは『観心本尊抄』に


  「教主釈尊は三惑已断仏(さんわくすでにたつほとけ)なり。
   又、十方世界の国主、一切の菩薩・二乗・人・天等の主君なり。
   行(みゆき)の時は梵天左に在り、帝釈右に侍り、四衆、八部
   後に聳(したが)い、金剛前に導き、八万法蔵を演説して一切
   衆生を得脱せしむ。

   是くの如き仏陀、何を以って我ら凡夫の己心に住せしめんや。
   又亦門、爾前の意を以って之を論ずれば、教主釈尊は始成正覚
   の仏なり。
   
   過去の因行を尋ね求むれば、或は能施太子、或は儒童菩薩、
   或は尸毘王、或は薩?王子、或は三祇・百劫、或は動諭塵劫
   或は無量阿曽祇劫、或は初発心時、或は三千塵点等の間、七
   万・五千。六千・七千等の仏を供養し劫を積み行満じて今の
   教主釈尊と成り給う。

   是くの如き因位の諸行は皆我等が己身所具の菩薩界の功徳か。
   果位を以って之を論ずれば教主釈尊は始成正覚の仏、四十余
   の間、四教の色身を示し現し、爾前、亦門、涅槃経等を演説
   して、一切衆生を利益し給う。

   いわゆる、華蔵の時、十方台上の盧舎那・阿含経の三十四心
   断結成道の仏・方等、般若の千仏等。
   大日、金剛頂等の千二百余尊、並びに亦門宝塔品の四土色身
   
   涅槃経の或は丈六と見る、あるいは小身大身と現じ、或は
   盧舎那と見る。
   或は身虚空に同じと見る。
   四種の身、乃至八十御入滅には舎利を留めて正・像・末を利益
   し給う。」


と論じるところであり、それに対して、

            「随時の本門」


とは、己が身を一塵一劫我成佛と捉えて妙法蓮華と観、そして勝応身
の如来の三身を「良医」「父」「使」と立分け、一身を「我れ慈父」
即ち本門の波動と解するを 「随時の本門」 と称します。


そして、その教が弘宣される時を

      『妙法蓮華経薬王菩薩本事品第二十三』には
    『我滅度後、後五百歳中広宣流布於閻浮提無令断絶』


と示されております。



この文は『如来寿量品』の如来が「遠至余国」してから「還来帰家」
する迄の時間的経過と「遣使還告」迄の時間を明らかに予言した部分
であります。


また、応身の如来、日蓮大聖人はこの『我滅度後、後五百歳』の文
を自ら『如来滅後五五百歳』と注釈されて『観心本尊抄』を著わし
そこに宗旨の根本を顕かにされたのであります。


この『観心本尊抄』の如来滅後の正しい意味は『如来寿量品』に
如来を始は「良医」に譬えて示し、その「良医」の「遠至余国」
の文を以って「滅時」と日蓮大聖人は衆生の機根に合わせて表現さ
れたのであります。


そして如来が良医の体に応身して『妙法蓮華経』を衆生に示した時
ゆえにこの時を『本門の正法時』と称します。


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そしてこの事業を以ってこの応身如来を「大覚世尊」と呼ぶのであ
ります。

また、この「良医」が諸子の目の届かない遠い国、即ち、「死」と
一般に称する妙法の世界に帰った時、残された諸子は父である良医
の残した薬以外の薬を飲み四苦八苦、即ち「生・老・病・死」の不
安及び「愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦」して最後に厭
世観に陥り「不能生於」(生きることあたわじ)に至ると如来寿量
品に説かれております。


また、如来寿量品には「是時其父還帰家」と説かれております。


「還」とは「めぐる」という事で即ち「良医」とは帰ってきた父の
職業であり「良医」と「父」は同一の如来であります。
故に『観心本尊抄』の如来とは『開目抄』を以って


  「日蓮は日の本の国の諸人に主・師・父・母なり」


と仰せられた日蓮大聖人以外には絶対にあり得ないのであります。



衆生がその身そのままにして四苦八苦を克服してその上に成立した
ものを「即身成佛」と称するのであります。

無作の如来とは万物を造化なす根本の波動であり

         「妙に具わる法」


          であります。

私達は妙に具わる正しい法を増幅させて蓮華の体を正しく運行させ
なければならないのであります。

「妙法」とは『如来寿量品』の長行に「一塵一劫我成佛」と示され
ております。

一塵の一とは「はじめ」であり、すべての義を意味するところであ
ります。
また、すべてのなかの一つを表したものであります。

すべてとは全宇宙の物質のすべてであり、一つとはその物質の本質
を失わない範囲で達し得る最小の微粒子、現代用語で言う「原子」を
示したものであります。


また、『妙法蓮華経』では原子を「塵」に譬え、その質量を「劫」と
いう長さ、譬えて言えば

      「四十四里四方の大石を三年に一度布で拭い
       てその石が摩滅するまでの長さ」


に比す、長さ割る大きさなのであると御本佛は諭されているのであ
ります。


この「妙」という大きさの質量には「法」と呼ばれる「物質波」と
いうべき波動が必ず具わっている事はフランスのノーベル物理学賞
受賞者であるド・ブロイ博士が一九二四年に証明したところであり
ます。


ド・ブロイ博士の「物質波」(ド・ブロイ波)の発見を大覚世尊は
今より約二千年前に『妙法蓮華経』を以って既に明らかに示されて
いるのであります。


即ち大覚世尊が説く生命の法則は現代物理学に依って証明されつつ
在る訳であります。


===============================================


私達のこの色心不二の体にとって最も勝れた「波動」そのものを如来
の応化、日蓮大聖人は今から約七〇〇年前に「本門の本尊」として御
造立あそばされ、そうして「本門の本尊」の本質条件は「本門の題目」
即ち「本門の物質波」であり、そのつくりなす業(わざ)は妙法蓮華
経であります。

故に「本因妙大本尊」以外の曼荼羅には本門の波動が示されていないのであります。


大曼荼羅の示す処は、御本佛日蓮大聖人が捉えた対告衆とその時折
の個々の生命状態を顕したものであります。
故に一機一縁の本尊とも大曼荼羅とも称するのであり「大本尊」と
「大曼荼羅」では根本を異としているのであります。


大曼荼羅は「本因妙大本尊」に具わった用きを説明したものであり
その用きとは、大宇宙の生命界に婆羅門の人師、論師が蒔き散らし
た荼(タト・ 茶の原字でにが草、即ち毒の意味)を羅(網の原字)
即ち、毒を網で一網打尽に捕らえ「大本尊の用」である本門の波動
に依って茶(薬9に変わると云う「本因妙大本尊」の効能を顕した
ものであり

「本因妙大本尊」を衆生に渇仰せしめる為に日蓮大聖人がそれぞれ
の機根に応じて顕されたものであります。
故に日蓮正宗大石寺で「本尊」と称している板曼荼羅は衆生、弥四
朗国重の願いなのであります。


それ故に

       為現当二世

       造立如件

       本門戒壇願主

       弥四朗国重

       法華講衆

       敬白


の如き文が加えられているのであります。
この文の正しい意味は


   現(現世)と当(当来の世)の二世の為に造立件の如し
   本門戒壇を願(した)う主(藤原朝臣小野寺)弥四朗
   国重並びに法華講衆   敬白

       

と云う事で「本因妙大本尊」と「大曼荼羅」の関係を正しく示した
処のものであります。


正しく示した関係とは「願主、弥四朗国重大曼荼羅」は本門戒壇に
奉安置されるべき「本因妙大本尊」を願(した)い成就仏身を起請
したもので法華講頭の弥四朗国重とそれに率いられた法華講衆の
「本因妙大本尊」に対する真心を顕し捧げた処のものなので
あります。


即ち、大石寺での大本尊であつ弥四朗国重大曼荼羅は「本因妙大本尊」
に従属して初めて用(はたらき)を具えるところのものなのであります。


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