真実の大石寺の所在地を示す土地登記簿





真実の「大石寺」の跡地であるこの「富士市依田原字大石寺」の地は現在、ほとんどが日産自動車関係の土地となっています。


創価学会のおかげで有名になった「富士宮大石寺」は江戸時代初期の後半に幕府の権力で建てられた「偽大石寺」です。



      日目聖人建立の正統大石寺焼き討ちに関しては
      「正統天皇と日蓮」P112を参照







次に下の写真を御覧下さい。




 




この写真は大日本皇道立教会、

(南朝を正統として両統の融和を計ることを目的として大正三年に
設立された団体)


秋月左都夫第三代副会頭(前列中央、オーストラリア大使・宮内省
御用掛・大正六年読売新聞社社長・正三位・勲一等)を中心にして
門下の方々を写したものです。


後列右から二人目の人が若き日の児玉誉士夫氏です。


同じく後列左端に創価学会(設立当初は創価教育学会)創立者牧口
常三郎氏がおられます。


設立当初の創価教育学会は、元々大日本皇道立教会の教旨・目的を
根本として国民に新たな皇道を教育する団体として結成されました。


その創価教育学会が戸田城聖二代会長に引き継がれ戦後に創価学会
となり大躍進を遂げたおかげで一躍有名になった現大石寺ですが現
大石寺が主張する「一器の水を一器に瀉すように、清浄なる血脈の
法水は六十七世法主日顕上人に受け継がれている。」


(日蓮正宗略解P9)


といっているこの部分も実は偽りでありその全てが江戸時代初期の
後半に京都要法寺の僧、日精師を敬台院(徳島藩初代藩主蜂須賀至
鎮正室 徳川家康養女)が招いて新造した寺であることは


「続家中抄」に



「諸堂塔を修理造営し絶を継ぎ廃を興す勲功莫大なり、頗る中興の
祖と謂うべきものか。」と示されている如くであり全てが日精師に
始まりその実、敬台院の手紙(富士宗学要集第八巻収)には





「此の御しゆゐんの事大石寺に下され候御しゆゐんにては候はまじ、
勝五郎御そせう申しあげ候て勝五郎ちやうだい申し候御しゆゐん
の事にて候」


とあり、また別紙には



「大石寺後住の所法詔寺より永代継ぎ申し候すぢめに相定められ候
書付、此の度右両三人持参致し慥に請取申し候」(以下略)
(寛永一五年)六月二十四日 日詔(敬台院) 大石寺寺家檀那中



とあります。




この手紙の内容は大石寺側より大石寺の住職の任命権は蜂須賀家に
存在する旨を申し入れたものでありこれが現在の大石寺で云う血脈
の実体なのです。



当然、「本門戒壇の大御本尊」も真っ赤な嘘でありその悲惨な信仰の
結果は皮肉にも創価学会・顕正会・正信会等の方々によって示されて
いるとうりであります。


                                   立正安国