小野寺教授略歴


 1945年1月


1868年(慶応四年)6月15日即位の通称東武皇帝(後醍醐天皇の正裔)の
曾孫として降誕。


 1963年6月


株式会社実業の世界社より創価学会対策出版物発行の為、編集スタッフと
して招請されるが編集方針の相違に依り五ヶ月で辞退。


1964年4月


東横重工業株式会社社長小野寺象治秘書、1965年退職。


1965年4月


         國學院大學第三十一回学術講座課程修了


1966年3月


財団法人芸能文化研究所代表理事有賀武夫元海軍少将の招聘により、同法人
理事に就任、理事に高柳健次郎氏・土岐善麿氏・山田耕作氏・堀内敬三氏・
吉村繁俊氏等在職。

同時、小野寺育徳会主宰秘蔵宝物展開催、テレビ・新聞で報道される。


1967年4月


秦国政府より中野三郎氏とソンクラ県サバヨイ村2400平方キロの森林を所得
し、三幸国際有限公司を設立、常務取締役就任、秦国経済に寄与。
後、プラバート元帥の失脚で活動停止。


1967年6月


橋本政刀氏(中野正剛氏塾頭)懇請に依り向井定利事務所の役員となる。


1968年6月


亀井貫一朗氏(住友商事顧問)の招聘で財団法人産業経済研究協会に勤務、
経営理論環境問題担当、後、亀井事務所の於いて美国ウェスチング
社より導入の原子炉技術を基礎の開発された純国産高速増殖炉に「もんじゅ」の
名称を提案、採用される。


1969年


韓国政府よりベトナム和平後の韓国運営の相談を受け、住友電工がサウジ
アラビア政府より受注のケーブル施設工事に、ベトナム派兵から帰国の韓国
兵を使用することを住友に提案、採用される。


1970年4月


宗教法人太平教団(旧大日本帝国法王庁)代表理事代務者に就任。


1972年4月


学校法人北九州学院再建の為、理事及び同短期大学教授就任、1977年12月
辞任。


1977年9月


財団法人芸能文化研究所理事兼代表理事代務者を辞任。


1975年11月


ソビエト政府通商代表部を通し日ソ友好親善の工作依頼を受ける。


1978年4月

社会福祉法人厚生福祉事業団理事長川村秀文氏(川村学園理事長)の招聘
に依り、同法人の理事に就任、理事長代行として老人福祉に関わる。
1982年辞任。


1991年9月


太平教団代表理事に就任。


2006年7月


中国四川大学の招聘に依り客員教授に就任。


2006年8月


四川大学百十周年を慶祝し大谷探検隊招来の石窟壁画南北朝晩期
(中国文物報、同年十月十八日記事)同大学に寄贈。


2007年11月


中国四川大学名誉教授就任。



著書に『日目上人伝』・『小野小町二人考』・『小野寺氏1200年史』

   『日蓮大聖人の御遺命』・『一閻浮提の大本尊立つ』・

   『正統天皇と日蓮』・『東武皇帝の真実』・他経済論・文化評論多数。



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壁画鑑定結果



本門正宗要義之管見
精華大學・北京大學 楊教授




小野寺教授写真集

   


収蔵證書



小野寺教授寄贈敦煌壁画



四川大學学長補佐
李 子北氏書翰文



四川大學小野寺教授著
「正統天皇と日蓮」




歴史が証明する事実


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